昭和56年06月13日 13日会



 皆さんが御神願御成就を願っての信心。13日会というのはそういう一日でありたいと言う事だと思うです。神様の願いが成就する事のために今日心中あると言った様なね、そのう御神願が成就するということがどういうことかと分からせて頂くと、結局私が助かると言う事だとこう思うですね、私が助かる。それにはねどうしても合楽の信心はと言うがね、もう信心はこれに極まったと言った様なものを、やっぱ頂かなければいけませんよ。もう漠然んと分かっただけではいけません。
 もうこれに極まったというものをいわば清く感じる。そこから神様とのそこのルートの様なものがうまれてくるですね。今朝からここであのうおかげを頂く上野と言うお年寄りの先生が居りますでしょ、あちらの姪になりますまだ高校出たばっかりの娘さんですけれども、お友達がこの頃から交通事故に遭いまして、病院に入院してる。それはなかなかのほらこのここの骨がね、中に向ってこう入ってるんだそうです。それでこう息をするのにも大変苦しいと言う様な事だった。
 それで入院と同時にそのう貴子さんと言いますが、お願いをしておりましたが、昨日一昨日でしょうか、今朝からのお届けですけれども、御神米とテープを持って行って枕元で聞かせてあげる。そしたらもう芯からそうだねぇちて、言うたとガチッと音がしたのが一緒だったそうです。それが大きな音を立ててね、ここの中に入っとった骨が元通りになったから、もうその場で退院のおかげを頂いたというお礼のお届けがあったんです。今朝。上野先生の姪になります。
 だからいかにそのそうだねぇとこう感ずることなんです。そしてそれが実行、実験実証と言う事になったらいよいよ力にもなりましょう、徳にもなりましょうね。だからこれも今朝からこのう高松という和子先生がお届けした事でしたけれども。高松しもそこの三井の高校があります。農業高校そこの先生が先生を訪ねて見えて、この方はもう大変まぁ宗教に関心をもって、高校の先生になられる前はその出家をして、お坊さんになろうとまで思い詰められた程しの方らしいんです。
 ところが家族の者の反対を受けて、あのうまぁ高校の先生をなさっておられるそうですが、だいたい合楽の信心はどう言う事をもって芯と致しますのですかという、お尋ねに対して。ちょうど昨日、今度金光様、教祖金光大神様のあのう御理解がね、新たに出る御理解が先だっての、あいよかけよとこう全国信徒会の御本に出ておるんです。でそれがあのう中に教祖様が人間は土から出でて土に還るんだと、言う様な御理解が4っつか5つつかあるんです。
 私はそれを先だって竹内先生から読んでもらいましてね、合楽で言われておる人間が、もやはり土から出でて土に還るのだから、その道中とてもやはり土の信心をもってするが、一番最高だと言う様な御理解を合楽では頂きます。いよいよまぁま意を強うするというか、教祖様の教えておられた事を合楽でもやはり説いているんだと、しかも土から出でて土に還るというだけの事ではなくて、合楽の場合はだからその道中とてもと説く訳です。人間は土から出でて土に還るんだと。
 だからその道中とても土の生き方でというふうにまぁ申します訳ですけれども、その話が丁度塗板に掲示してあった。いまそこの塗板にね研修の後の塗板に。だからあのう合楽の信心はこれなんですと、人間は土から出でて土に還ったんだから、その道中とても土の信心であのう行く事を芯にして御教えがあります。ちょうどそこに合楽理念の何々というご本がでとるでしょ、だからそれを見られてですねこれを是非分けて下さいと言うて、頂いて帰られて、その事に非常に感動されたという感じられたと言う事ですね。
 感じる事によっておかげが頂ける。それを実験するところに、もちろん実践も現れますと同時にそれが力になるんです、徳になるんです。だからこうやって合楽にお参りするたんびんに、何かを感じると言うかね、ははぁ例えばひとつの事に取り組みますと、はぁもうこれに極まったと合楽の信心はこれだと、例えば感じたらそれを実験に落とし、そしてその実験に落としにくい所やら難しい所があるのは、又次の御理解によって、ははぁそれの手立てをまぁいろいろ工夫さして頂いたり。
 最近では心行、信行、家業の行と言われております。今までは心行、家業の行とこう言ってましたね。この心行と言うのは心の行と、次の信行は信心の行です、それを昨日は勤行(ごんぎょう)ということを頂いたです。勤行ということを字引で引きますとね、ちょうどあのう仏教の方達が時間を決めて、仏前で御祈念をするということが勤行と言うんだそうです。私は昨日、昨日の美登里会の時にその事を頂いて、皆さん一人一人の勤行を聞かしてもらったんですけれども。
 やっぱりそれぞれにですねきちっとした勤行をなさっておられます。もうある家庭などはもう一家を挙げて子供までが、夜の何時になったら御神前に出て、いわゆる信行を唱えて一家中でおかげを、御祈念をなさっておられるこんなとはやっぱり勤行ですね。だから合楽で最近言われる信行の中に勤行が入って来る訳です。信心の行ね。これはいろいろ工夫があると思うです。しかも行ですから。いわば行のようにとこう申しますから。それを徹し抜くと言った様なそういう信心。
 心行、信行、家業の行。信行がひとつ増えました。そういう信行がなされて行くところからです、いうならそんなら信心をこれに極まったというものが、ひとつ例えばならもう合楽の信心は土の信心に極まったと、言う事になれば黙っておさめるとか成り行きを大切にすと言うのが、中に入って来るでしょう。それを徹して行こうとするところに、又難しさやらまた迷いやらが起こって来るような事になりますけれども、御教えを頂くたんべんに感じて帰る。
 これが、これが今まで分からなかった今日、いわゆる今の上野先生の姪ごさんが今朝からお届け致します様にですね。信心がある訳じゃないけれども御理解お話頂いて、そしてはぁそうだと感じたんでしょう、そうはぁそうだね。言うた途端にその心の中に大きな音がしてね、ガクッと言う音がしたんだそうです。そしてそれが引っ込んどった骨が出てなんかもう即刻隊員のおかげを頂いたというのです。だからそのう私の話を聞いて感じて下さったらもうおかげになると言う風に、私が申します様にね。
 感じると言う事そこに神様とのおかげのルートが生まれて来るんです。だからそれを実験すると言うところから、今度はおかげではありませんもう力です、お徳です。きょうも佐賀の支部長がここでお届けいたしました。もう最近は先生私の方にゃもう難儀な問題ばっかりが、もういわゆるとても私の手にゃ負えない様な、困りごてん私が先にふとくまるに言うた事でしたけれどもね。
 そりゃ空閑さんあんたにそれだけの力が出来たけん、そういうなら難儀な人達。難儀な人が助かるということがお道の信心じゃないですかと。私がある病院の先生にもうこの頃は難儀な病人ばかりですから、じゃくな病人ばかり来るごとひとつお願いした先生があったが、私ゃあんた馬鹿じゃなかのと言うたごとあった。もうよその病院じゃ難しかちゅうごたるとが、あんたがい来てから例え死んだっちゃいいじゃないのそれなら、どうせよそで目離されたっちゃから。
 それがもうあんたの所で助かったらそうれこそ、あぁいう病人があすこで助かったと言う事になるじゃないかと。だからかえって歓迎であり喜ばなければいけないのだよと、まぁそう言う様な事を空閑さんに申した事でしたけれどもね。そういう私共がそのう言うならこう構を作っておかんと、難儀な事ばかりということになるんですからね。それがひとつひとつおかげになるだけじゃいけません。
 それがひとつひとつ力になっていく事のためにね、一つもう私の流儀はこれだと言う様なものを一つ頂いて、合楽の信心はこれで極まったというなら銘々頂いきなさらなければならない。もうそこでおかげのいうならルートが出来る。次には力を受けるお徳を受けるルート、それはそれを実験して行く事でありね、実証を積んでいってはいよいよ確信、いわうる信ずる心がねいよいよ強うなっていく、そういうおかげを頂きたい。
   どうぞ。